♪こんにちは赤ちゃん♪も中年へと成長いたしました。
好奇心旺盛で新し物好き・でも古い物も大好きな昭和女。
なつかしの音楽に乗せて自分史も思い出してみようかな。
知らない人にも教えてあげたいわ、この歌・テレビ!
ただし、私個人的な主観ですのでご了承を(^^)v

あーぁタイムマシーン、本当にあればいいなに・・・

2008年03月17日

長田たいじ・池田正臣・宮本賢治 / 「スター誕生」男性デビュー組(2)演歌の道!!




「スター誕生」8人目にデビューされた方

【長田たいじ】(おさだたいじ)知誕Wiki



昭和25年(1950)・1・23生まれ 新潟県出身
第8回テレビ予選(昭和46年(1971)・11・21放送)を経て、第1回決戦大会(昭和47年(1972)1・2放送)に森昌子様らと共に合格。        

   
サンライズ企画所属。
昭和48年(1973)3・25 テイチクレコード・ユニオンレーベルよりCD女の未練』でデビュー。  
デビュー当時は23歳。


当時9歳の私にとって、大人の香りたっぷりのムード演歌はこの番組内で欲するものではなかったので、興味の「き」の字もなく聴く耳もなく、でもデビューコーナーのお姿は拝見していると思う。


この長田様のデビューコーナーのラスト日に、アシスタントのシュークリームス様がレギュラーを降板されているようだ。

※※※続きを読む※※※
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2008年03月16日

藤本哲也〜鷲と鷹/「スター誕生」男性デビュー組(1)

スター誕生」4人目&6人目のデビューはこの方達



【藤本哲也】


昭和27年(1952)4・26生まれ、山口県出身。
デビュー当時は20歳。
第25回テレビ予選(昭和47年(1972)3・19放送)を経て、第2回決戦大会(同年・4・9)に合格。
カワハラ企画所属。


同年・9・10、日本コロンビアレコードよりCD冬の旅』でデビュー。


森進一様の『冬の旅』は小学4年の時好きだったけど、藤本様に関しては顔も歌も全く憶えていないいい気分(温泉)
翌年5月くらいにCD椿の宿』という曲をリリースされている模様。
後に引退されたらしい。




【鷲と鷹】知誕Wiki


小林茂様と渋谷弘様のソフトロック系男性デュオ。
小林様は昭和23年(1948)12・18生まれ、渋谷様は昭和23年(1948)7・10生まれの、共に東京都出身24歳。

※※※次へ続く※※※
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若草物語/咲かなかったコスモス



スター誕生」から3番目にデビューを飾られた方々。


コスモス



立井雅子様&田村悦子様のお二人からなる女性デュオ。
愛称はマーコエッちゃん


マーコ様は、昭和26年(1951)10・3生まれ、大阪府出身。
デビュー後1ヶ月ちょっとで21歳を迎えた。
エッちゃん様は、昭和27年(1952)1・8生まれ、岡山県出身。
早生まれだから、お二人は同級生。
大学が一緒だったんだろうか。


立ち位置は、マーコが左、エッちゃんが右でよろしいのか?既に限界の知識たらーっ(汗)


第24回テレビ予選(昭和47年(1972)3・12放送)を経て、
第2回決戦大会(同年・4・9)合格。
第一共永所属。
同年・8・20、CBSソニーよりCD若草物語』でデビュー。
(作詞/阿久悠様 作曲/都倉俊一様 編曲/青木望様)


阿久都倉コンビによるこの歌の内容は、まるで少女マンガの世界のようにソフトでメルヘンチック。
16才の彼と14歳の私が、大人になったらあの教会で結婚して、赤い屋根のお家を作って暮らしたいね〜って夢見ている風景。。。早く大人にならないかな〜ハートたち(複数ハート)っていうスイートな初恋の絵が浮かんできそうな内容。


幼稚園時代、ベッツイー&クリスはベッツィー様が、
小学2年の時、シモンズはユミ様がごひいきだった私は、コスモス様のデビューコーナーを観た時、思わずどちらの方をごひいきするべきか無意識に顔をマジマジ見たことだけ憶えている。
でも結局決め手もなく、印象も残らず忘れ去ってしまった。
ポップス色のあるフォーク調な楽曲は両者に共通していたと思うが、真ん中分けのロングヘアではなかった。


猫見た目が丸っきしベッツイー&クリスシモンズ→を辿っているデュオといったら、
この3年後の昭和50年(1975)に平凡か明星の歌本で存在を知った女性デュオ、
CD嵯峨野さやさや」のタンポポ様(ハロプロではない)の方が近いと思うが、とにかく皆様ポエムなお名前である〜!
ハモり好きな私も「フリージア」なんて花の名前でデュオ組んでみたくなった・・・わーい(嬉しい顔)売れないだろうなぁ〜


この時代、私に最も年齢が近いデュオといえば、チューインガム様もいた。




※※※続きを読む※※※
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2008年03月15日

私の花言葉/三橋ひろ子〜初めてのお気に入り




「スター誕生」で、2人目にデビューを飾った方。



三橋ひろ子(知誕Wiki)



神奈川県出身、昭和31年(1956)8・10生まれ。
第18回テレビ予選(昭和47年(1972)1・30放送)合格
第2回決戦大会(4・9放送)最優秀賞
大和企画 所属


昭和47年(1972)7月25日 徳間音工(徳間ジャパン)よりCD私の花言葉」でデビュー。   
(作詞/阿久悠様 作曲/森田公一様 編曲/川口真様 )
デビュー直後に16才を迎えた高校1年生。


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♪ある日誰かが バラの花〜 窓に飾って 行きました〜♪


小学3年生だった私は、三橋ひろ子様がデビューコーナーを飾られた時、のっけからデビュー曲「私の花言葉」が気に入り、一生懸命歌詞を覚えた。
プラス、黙っていても笑っているような優しそうな目元、清潔そうな笑顔が印象的で、私の理想のお姉さん、理想の先生!?ルックスだった。
会場の声援も多かったし、確実にアイドル路線で出だし好調の兆しが見えた。


犬私の中では森昌子様よりポイントが高かったのだ。


この47年(1972)は、番組から第1号の森昌子様が6・25デビュー、
2号の三橋ひろ子様が7・25デビュー、
3号のコスモス様が8・20デビュー、
4号の藤本哲也様が9・10デビューと、
一気にデビューが固まっていたようで、デビューコーナーが重なった時もあったのかしら?そんなところは記憶なし。


第4回決戦大会合格者の堺淳子様、南陽子様、桜田淳子様、菅原昭子様は、ちょうど三橋様とコスモス様のデビューコーナー頃に順番に予選で合格されている。


私がかろうじて桜田淳子様のオーディション時を少しだけ記憶できたのも、三橋様に注目して番組をより深く観だしたおかげかなと思ってる。


阿久田・川口チームで作られたこのデビュー曲、放送の後に教室でチラッと口ずさんでいる子もいたけど、8、9歳の子供の中では大した話題に上らなかった。
スタ誕」の話題は欽ちゃんコーナーメインの初期。


男子はもっぱら「ウルトラマンA」、「仮面ライダー」、私はアニメ「樫の木モック」の騙されてばっかりのモックにイライラしていた頃だ。わーい(嬉しい顔)
一応オリコン100位以内にはランキングされたらしいが、三橋様と同世代の当時中学・高校生だった人にどんな感触だったか聞いてみたい。


※※※続きを読む※※※
posted by いくらどん at 03:33| Comment(9) | TrackBack(0) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月06日

赤い花まつり/ラテンな南陽子



¥2,520(税込)
国内盤 CD
発売日: 2007/11/24
レーベル: SOLID RECORDS
規格品番: CDSOL-1192


カルト歌謡のオリジナル・アルバム復刻!「スター誕生!」出身の歌謡ファンに人気のアクション・グラマー・アイドル、南陽子の1stアルバム



「歌謡曲」という言葉自体が、既に懐かしい響きがする昨今。
その中でも、
「ムード歌謡」、「エレキ歌謡」、「アイドル歌謡」、
「リズム歌謡」、「バブルガム歌謡」、「ニューソウル歌謡」、
「ニューウェーブ歌謡」、「ネオ歌謡」、「カルト歌謡」等々・・・
ニュアンス的には何となく理解できるが、
何といろいろな歌謡ジャンルの呼び名があることよ。


そして、なるほど「アクション・グラマー歌謡」という呼び名があった。
代表的な方々といえば、
"東洋のティナ・ターナー"(勝手に決めた)欧陽菲菲様、
"リンダ"というジャンル山本リンダ様、
"フィンガー3人娘”と呼ばれた
安西マリア様&夏木マリ様&金井克子様、
"100万ドルの美脚"朱里エイコ
などになるのだろうか。


また、"西野バレエ団"(=レ・ガールズ)の大ママ金井克子様が入るなら、
小ママ由美かおる様も仲間に入れなければ。
だって、『炎の女』ですもの〜(動画)


マイナーどころで言わせてもらえば、
"空手パンチパンチどんっ(衝撃)"パンチあきいずみ(動画)
も、以前記事で触れたひいき目で入れさせていただきたい。


いずれの方もセクシーで、
過激だったり個性的なアクション・パフォーマンスが人気を博したわけだが、
まずは楽曲と歌唱力(&ルックス)あってこそで、
当時私達のような子供の目にも、カッコいい女性に映っていた。


遠足のバスの中で選ぶ歌ではないが、私は歌った。
逃げるあーた(あなた)と止めてぃ こひ(恋)のおあい(終わり)を止めてぃ
(By 菲菲のモノマネのつもり)


平成の世、「エロかっこいい」(既に死語)を流行らせた倖田來未様などは、
正にこのお姐様達を大進化させた形なのではないかと。


過激さ、セクシーさの度合いによっては、そればかりがクローズアップされ、
"キワモノ"とか、"イロモノ"と呼ばれる扱いになる恐れもあり、味加減が相当難しそうだ。
ちょっと間違うと"場末"行きだもの・・・


作品の運、事務所の運なども当然あるだろうが、
ブラウン管で認められた上記のスター様には"小恥ずかしい"中に品があり、華やかさがあった。
同じ系統を狙ったつもりでも、「売れる」とは限らないのが芸能界の難しさ・・・


この方も、この路線でスタートされた方だった。

※※※続きを読む※※※
posted by いくらどん at 21:20| Comment(22) | TrackBack(1) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月18日

マグネット・ジョーに気をつけろ/ ギャル(2)




昭和53年(1978)2月21日発売  セカンドシングル
CDマグネット・ジョーに気をつけろ
(作詞/阿久悠様 作曲/川口真様 編曲/馬飼野康二様)

ブティック今度の衣装は、マリリン・モンローみたいに胸元が開いた色違いのセクシードレス。



アレ?(石江)ミチヨ様が髪をバッサリ切ってるー(長音記号1)
今で言うなら和田アキ子様みたい・・・どうして切っちゃったのむかっ(怒り)?と私はブーイングだった。
芸能人のヘアチェンジ、時々ブーイングしてたな〜


いい娘に逢ったらドキッ」の伊藤咲子様や、「花しぐれ」の高田みづえ様の時も。


るんるん「マグネット・ジョーに気をつけろ」歌詞


かわいいニコ二コ動画 伊集院光選曲 オバ歌謡


※※※続きを読む※※※
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薔薇とピストル/ ギャル(1)

2010年08月04日発売!!




前記で紹介した「スター誕生」卒業生のお三方、石江理世様、黒木真由美様 、目黒ひとみ様は、ソロでデビューし期待されたものの、意外に早く行き詰まってしまった。


それ以前にデビューされ、自然消滅のような形で引退された方は結構おられるが、幸運なことに彼女達は見捨てられず、別の形で再びスポットライトを浴びることが出来た。


その別の形というのが、3人が合体してグループを組み、再デビューするというものだったexclamation


グループ名はギャル(GAL)ぴかぴか(新しい)



当時はまだ「ギャル(GAL)」という言葉が市民権を得ていず、大抵「※ギャル(GAL)とは・・・」なんて注釈があった。
このことは、堀川まゆみ様の記事でも触れている。

※※※続きを読む※※※
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2008年02月16日

私のシュガーボーイ/ ぽっちゃり加減がいい目黒ひとみ



目黒ひとみぴかぴか(新しい)



第8回決戦大会合格(昭和48年(1973)9/30放送)
ビクター音楽産業 アルト企画所属
昭和35年(1960)9・19生まれ 東京都出身


目黒様の本名は「石田浩子」。


当初は本名でデビューされる予定だったが、昭和50年(1975)9月には、同じビクターから『わたしの恋はシャボン玉』石田文子様が、10月には、CBSソニーから『恋のABC』池田ひろ子様がデビューし、名前が似ていた為に、急遽芸名にされたらしい。
確かに本名にされなかったのは良かったと思うが・・・


スタ誕」出身者の方の年齢は、何となく自然に把握していたように思うが、目黒様のことはなぜかずっと4歳上だと勘違いしていて、
CDスター誕生コレクションVOL.1を買って初めて3歳違いの間違いだと知った。


昭和48年(1973)第87回(5/27放送)の予選で合格された時、まだ12歳の中学1年生だったわけだ。
柴葉子様ほどではないにしても、ここからデビューまで2年以上かかっている。





満月昭和50年(1975)12月20日 CDわたしのシュガーボーイ』でデビュー。
(作詞/山川啓介様 作曲/中村泰士様)


男のくせに彼ったら キャンディーが好き へーイヘイ


かわいいYouTubeで聴けます黒ハート


るんるん音楽ダウンロードはこちら


満月昭和51年(1976)7月? CDアップルパイが焼けるまで


♪二人きりなの おうちに 日曜の昼下がり♪


かわいいYouTubeで聴けます黒ハート



この歌、あんまり聴いた記憶がないのだが、私は子供の時からアップルパイに目がなかったので、多分平凡・明星の歌本でこのタイトル見つけた時、急に食べたくなって近所にアップルパイを買いに行ったことがあり、そんなことで憶えている歌。喫茶店(母は作れなかった)
この癖、一時「大草原の小さな家」を観る時も発症!?していた。(キャロライン母さんのお手製アップルパイがおいしそうで〜)
だから、私にとってはこの歌が流行らなくてよかったかもしれないたらーっ(汗)


同年10月 CDスィートポテト42キロ
カルビー「おさつスナック」のCMソングだった。



スイートポテト 42キロ〜上から数えて 80 60〜92! 少しポッチャリ加減かな〜


かわいいYouTubeで聴けます黒ハート


公表サイズは、159cm 75/60/84だったみたい。


折角おいしそうなスィーツをコンセプトにされてたのに、スナック菓子のCMにだけ使われたのは勿体無かったなぁ〜。


本当に普通っぽい雰囲気、優しそうだし、歌い方も丁寧で性格が良さそうな人に見えた。
一般人だったらきっと、こういう雰囲気の女性は「職場の花」になりモテそうだ。


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posted by いくらどん at 15:20| Comment(15) | TrackBack(0) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

好奇心〜感情線/ インディアナ黒木真由美

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第136回テレビ予選(昭和49年(1974)5・5放送)で366点を獲得し合格。
第11回決戦大会合格・審査員特別賞受賞(同年・8・11放送)
キングレコード 小沢音楽事務所(後に田辺エージェンシー)所属
昭和34年(1959)12・28生まれ 福岡県出身
日出女子高等学校卒


オーディション時、黒い肌・日本人離れしたルックス(今思えばタヒチアン系!?)、
インディアンっぽい個性的なスタイル(髪型と黄色いポンチョ)で登場した
黒木様はかなりインパクトがあり、
絶対合格する!と思っていた人。


そのちょっと前に「魔法使いサリー」の再放送を観てて、
その中の1話に登場する色黒の外国人の女の子を彷彿させてしまったし。


(追記)
テレビ予選では、山口百恵様の「青い果実」、決戦大会では平田隆夫とセルスターズの「強いほうがいい」(試聴あり)を歌っておられたようだ。
決戦大会の方は、試聴して思い出した!
この情報、浩輔氏よりご教授いただきました。



ただ私にとって、最も輝いて見えたのが"オーディション時"だった方のお一人である・・・


決戦大会の放送では岩崎宏美様より目が向いていたけど、イメージ崩さずそのままの形でデビューされたので、まるで素人時代から出来上がっていたみたいに「なるほど」と納得し、頑張って欲しいと応援しながらも段々感激薄くなっていった私。
でも、かなり期待の新人だったと思う。





昭和50年(1975)3・25 CD好奇心」でデビュー(YouTubeで聴けます♪)


iモード黒木真由美EPコレクション


出だしは好調で、昭和50年の第1回日本テレビ歌謡祭では、セカンドシングルCD感情線」で、ギリギリ新人賞5名に選ばれ、新宿音楽祭では、銅賞を受賞された。


♪みだれている みだれている 感情線が〜♪


【第1回日本テレビ音楽祭新人賞ノミネート】

細川たかし様 岩崎宏美様 片平なぎさ様 JJS様 黒木真由美

【'75 新宿音楽祭・銅賞】

黒木真由美様 草川祐馬様 豊川誕様 殿ゆたか様 青木美冴様 亜木美子様 ザ・リリーズ様 秋庭豊とアローナイツ様 有砂しのぶ様 チャダ様 ちゃんちゃこ様 


本デビューから約4ヵ月後くらいに平凡か明星の記事で、当時私が大好きだった豊川誕様と"フレッシュ対談"されている。
この切抜き、大人になって押入れから見つけた時から大事にファイルしてあるのだたらーっ(汗)



豊川 「僕たち、デビューが一緒(3月)だろう?キミにはじめて会ったときから忘れられないんだ。そら、フジテレビのオーディションの時さ・・・。」

黒木 「わたしの博多弁?(審査員との会話の) ワハハ・・・(黒木さん大きな声で笑う) 恥ずかしいヮ。」

豊川 「とにかくスゴかった。驚きも大きかったけど、聞いていて圧倒されちゃったんだ。ほんとうに強烈な印象だったよ。」

黒木 「わたし大きな声でネ。」

豊川 「でも、かえってあの飾らない自然さが審査員にウケたんだよ。僕より点が良かったもの。もうだいぶ博多弁のクセ、直ったろ?」



・・・ってな感じで会話が進んでいく。
7分丈のボーダーTシャツ&ジーンズ姿の黒木様は買い物カゴにフランスパン、オーバーオール姿の豊川様はギターを持っている。
当時の対談って、ほとんどがいかにも編集部で考えましたっぽい内容だし、この対談も本当は写真だけとか、しゃべってもボソボソポツポツ程度じゃないのかな?と思ってしまうが、当時は黒木様が羨ましかった私。


その後もCD神さまお願い」、CDまわれ風車」をリリース。


5枚目シングルCD銀のめがね」は、TV時間だよ!アイドル登場」のゲストで歌われていたのを思い出す。


銀縁のめがね あなたに合わない


トレードマークだった、ゆるめに2つ結ったロングヘアからイメージチェンジして、胸上くらいに切り揃えたボブスタイルになってたけど、トレードマークのヘアスタイルを変えてしまったら、黒木様の個性がもう「色黒」しか残っておらず・・・この頃はもう地味だったなぁ。


せっかくの個性が生かしきれなかった気がして惜しい。
リンリンランラン様とは違った形で、インディアン系を極めて欲しかった。 





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目かくし〜放課後/ パワフルボイス・石江理世

石江理世(いしえ みちよ)



第7回決戦大会で最優秀賞を受賞(昭和48年(1973)7/15放送)
同回は、城みちる様も合格されていて、私はこの時TV観ていた。


キャニオンレコード 小沢音楽事務所所属
昭和34年(1959)9・18生まれ 東京都出身
昭和49年(1974)6・25    CD目かくし」でデビュー
(作詞/阿久悠様 作・編曲/都倉俊一様)


近頃私 恋したために 目かくしされたよう


カラオケサクランボ??のワンポイントが付いた白いネックホルダーキャミ&ホットパンツ姿
(言い方が古いけど)で歌う姿がとても可愛くて印象的だった。ブティック
うちの父が、それを見て「普段着みたいな格好だなぁ」と辛口なことを言ったのも憶えている。
イントロの振り付け、今でもできるぞ〜


プレゼントプロマイドのマルベル堂⇒⇒⇒【昭和スター倶楽部】プロマイドギャラリー 石江理世


私は"理世"を「りよ」と呼ぶのだとずっと思っていた。
芸名には「りよ」ちゃんの方が可愛い気がするんだけどな。
学年的には私と4つしか違わないので、当時は中学3年生だ。


身長が高く足も長かった。
何より歌にパンチがあり、聴いていて気持ちが良かった。
デビュー当時14歳か・・・
大人っぽかったな〜


かわいい動画


そして同年10月頃、セカンドシングル CD放課後」発売。
(作詞/阿久悠様 作曲/都倉俊一様  編曲/ボブ佐久間様)

同年.11.10    LP「放課後」発売

私の彼は 3時の彼よ いつでもここで待っている〜

かわいい動画


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2009年07月15日発売!!
1.放課後 2.目かくし 
13.薔薇とピストル 15.マグネット・ジョーに気をつけろ 



私はデビュー曲の「目かくし」がかなり気に入っていた。
この「放課後」も決して悪くないのだが、
まだ世理様にテレビで「目かくし」を歌って欲しかった。


1曲に固執していたら、
あんまり聴く耳を持たなかったため印象が薄いのもあるかもしれないが、
この「放課後」をどれくらい歌われてフェードアウトされたのだろう。


高校受験の時期でもあるし、
ご両親との約束事でもあったのだろうか。


大抵、事務所やレコード会社と契約する時はとりあえずシングル何枚、アルバム何枚とかの取り決めって最初からあるらしいって聞くし、さすがに売れないからシングル2枚、アルバム1枚で終わりって
いうのは早すぎるのでは?


同じ年、スタ誕から連続してデビューした女の子3人に番組から企画が生まれていた。
花の中三トリオ」の2番煎じということで、同期デビューの
伊藤咲子様・小林美樹様と理世様の3人娘企画。


その中で結果的に上り調子だったのはサッコ様だけだった。
理世様、美樹様については、消えていった時期はずれていたけど、
二人ともデビュー曲がピークとなった。


そして、今後番組内で安易な組み合わせ企画は作られなくなったのだった。


翌年(1975)以降、私が彼女の情報を知る機会は全くなくなり、しばらく気になる人だった。


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