1 白い羽根 (柴葉子)
2 私の花言葉 (三橋ひろ子)
3 若草物語 (コスモス)
4 初恋 (最上由紀子)
5 17才の行進曲(菅原昭子)
6 霧のエトランゼ (シルビア・リー)
7 別れのブラックコーヒー(おがた愛)
8 目かくし (石江理世)
9 ひまわり娘 (伊藤咲子)
10純愛 (片平なぎさ)
11人魚の夏 (小林美樹)
12好奇心 (黒木真由美)
13若草のデート (北村優子)
14すてきな貴方 (横本メイ)
15少し遠出をしてみませんか(浦部雅美)
16少女自身 (久木田美弥)
17お元気ですか (清水由貴子)
18花の女高数え歌(谷ちえ子)
19白い猫おいで (梓真由美)
1 経験シーズン (大橋恵里子)
2 パステル・ラブ (金井夕子)
3 初恋景色 (北野玲子)
4 ブルーロマンス薬局(ポップコーン)
5 哀しくて哀しくて(菅沢恵子)
6 街はおしゃべり(鯨井ゆかり・オパ)
7 花吹雪 (杉田愛子)
8 浜辺のマドリガル(堤久美子)
9 ちょっと好奇心 (矢野良子)
10ブルーエトランゼ(河上幸恵)
11私の神様 (田中さとみ)
12キラリ・涙 (水谷絵津子)
13メモワール (松尾久美子)
14バ・ケー・ショ・ン(吹田明日香)
15スター誕生 (ルー・フィン・チャウ)
16♂・♀・Kiss (松本明子)
17デリケートに好きにして(太田貴子)
18ひとりぼっちは嫌い (高橋美枝)
私も、収録曲を知った時には飛びついて買った
時が経てば経つほど、聴きたくて聴きたくて仕方なかった歌が、このコレクションシリーズに入っていたから
前記事の決戦大会リストは、このアルバムのデータを参考に整理させてもらった。
ここでのラインナップ、番組出身者のうちトップクラスと呼ぶに相応しい方々が除かれているのはすぐわかる。
ただ、あまりに"デビュー後サッパリ・・・"な方々のオンパレードでは寂しすぎるが為!?なのか、音源の許可が下りない曲があった為なのか、私にとってはトップ級の伊藤咲子様を初め、数名の著名有名曲でバランスをとるくらいなら、男性軍も仲間にしてほしかった〜などと不平を言いたくなるところもあるが、それでも聴きたい魅力は十分だった
自分がどこまで一緒に口づさめるか、歌詞カードを見ずにのっけから一緒に歌ってみたら、圧倒的に『Vol.1』の方が歌える曲が多かった私
私と同い年であるポップコーン妹君、加本あつの様・甲斐智枝美様・吹田明日香様の3名は、昭和53年(1978)以降の出場者だし、年代的には『VOL.2』の方が身近なはずなのだが、テレビの前に座っている時間自体が減っていき、興味の範囲がより広がった時期のそれ以降より、憧れの眼差しで番組を心から楽しんでいたそれ以前の方が思い入れが強かったと再確認できたようだ。
CDの中でレギュラー審査員が関与している作品を挙げてみよう。
阿久悠様 『VOL.1』 2,3,6,8,9,11,12,13,14,17
(作詞) 『VOL.2』 9
森田公一様 『VOL.1』 2, 13(+編), 15(+編)
(作曲) 『VOL.2』 1
都倉俊一様 『VOL.1』 3, 8, 11, 12
(作曲) 『VOL.2』 4(+編)
三木たかし様『VOL.1』 1(+編), 6, 10(+編), 17(+編)
(作曲) 『VOL.2』 6(+編), 12
中村泰士様 『Vol.1』 18
(作曲) 『Vol.2』 9
私は、
三木たかし様が作曲・編曲を手がけておられるうち、
そして何と言っても、このCDを買うきっかけとなった歌は、石江理世様の
さすが阿久・都倉作品らしくビート感にあふれ、'70年代ポップスらしいベースの低重音が効いてて、私は大好きな歌だった。
なのに当時レコードは買わなかったので、後で後悔した1曲だった。
CD買って聴けた時にはホーッとして嬉しかった。
石江理世様を含め、卒業生お一人ずつについての思いは、またゆっくり別に語りたいと思う。
パステル・ラブ 詞・曲 尾崎亜美様
哀しくて哀しくて 詞・曲 つのだひろ様
私の神様 曲 網倉一也様
メモワール 曲 吉田拓郎様
バ・ケー・ショ・ン 詞/来生えつこ様 曲/来生たかお様
スター誕生 詞・曲 谷村新司様
♂・♀・Kiss 曲・編 後藤次利様
ひとりぼっちは嫌い 曲 松尾一彦様
時代と共に、"歌謡曲"も変化していったということだろう。
もっとも多く合格者が出ているのが、学年別で昭和33年(1958)組と昭和34年(1959)組で12人、次に昭和30年(1955)組と昭和32年(1957)組の7人etc・・・なんて、暇でもないくせにこの度、数を数えてしまった。
ついでに書くと、昭和29・37・39・40・42年組が5人、昭和35年組が4人、昭和23・27・36・38年組が3人、昭和24・26・28・31・41年組が2人、昭和25年・43年組が1人・・・
お一人、小椋幸子様だけ生年月日がわからなくて入っていないが。
デビューされた昭和58年(1983)当時、18歳だったということしか知らないので、昭和40年か昭和41年生まれに加えるとデータも変わってしまうが、まぁ重要なことではないのでいいかっ
「MSコンビ」とは、城みちる様(M)&松田新太郎様(S)のこと。
このお二人には年齢差が二つあり、同期という以外の共通点はあったのか?
どれくらい浸透したのやら、少なくとも小学生だった私の周りで噂に上った事はない。
私は、城様ファンの友達のお姉さんから教えてもらったと思うが、さほど気にも留めず忘れ去っていた。
そういえば、同じ昭和49年デビュー組では、もう1つ企画されたトリオがある。
伊藤咲子様の記事で、サッコ様が誰か2人と「花の中三トリオ」に続くトリオとして平凡・明星に載っていた気がすると書いたのだが、誰と組んでいたか全く思い出せずにいた。
その誰か2人とは、石江理世様と小林美樹様だったようだ。
放送100回目に向けて考えられた「花の中三トリオ」の次に池田プロデューサーが企画したこのトリオは、正式に発表される前に早々とぽしゃったのか、ここでは表記がない。
コンビやトリオの仲間が共に活躍してくれないと成立しないというわけだ。
観ていたけど、そういう大会だったことは全く記憶になかった。
それ以降に番組からデビューされた男性歌手は水谷大輔様と松本泰司様のみで、この二方共久保田様前後に予選合格している。
男性に比べて圧倒的に女性スター輩出が多かった為、もっと力を入れようと試みたのだろう。
元々テレビのオーディション番組へ応募する男性の数も女性より少ないだろうし、デビューしてから成功する者は他の番組も含めて相当少ない。
80年代は、氷河期を越したジャニーズ事務所にビッグウェーブが起こり、ニューミュージック系アーティストがどんどん出て来て、テレビに登場しないことでカリスマ性を放つミュージシャンにハートを移行していった私のような子もいる。
竹の子族だった沖田浩之様や、ミスターCBSソニーの竹本孝之様、横浜銀蝿様なども出現した昭和56年(1981)頃、そういえば私は、"パフいじゃん"宮田恭男様(後にドラマ「スクールウォーズ」に出た)のことをCM観てチョイ好きだったことがあるのを今思い出した(照)・・・チョイ好きが有り過ぎて初めて思い出した。
ヤングアイドル達は、次々と様々な場所から飛び出してきたということが言いたかっただけ
まだ、雑誌JUNONの「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」受賞者の方がおいしい活躍ができてそうだ。
男性が芸能界で大成する為には、オーディション時からテレビメディアのスポットライトを浴びない方がいいのかもしれない!?なんて思ったりした・・・
第400回放送(昭和54年(1979)6/3)「第400回記念ソフトボール大会」
第443回放送(昭和55年(1980)4/6) 「欽ちゃん最終回 さよならクロベエ・ユージロー・れい子ちゃん」
第365回放送(昭和53年(1978)10/1)「7周年記念特番■卒業生全員集合!」
第469回放送(昭和55年(1980)10/12)「Happy End The 百恵」
第493回放送(昭和56年(1981)3/29) 「500回記念特番 さよならピンク・レディー」
第515回放送(昭和56年(1981)9/6) 「Happy End The 真子」
第521回放送(昭和56年(1981)10/18)「10周年総集編」
第583回・584回放送(昭和58年(1983)1/9・1/16)「大同窓会 PART1・2」
タイムマシーンがあったら、もう1度ちゃんと観てみたい
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今後のうんちくは、自分なりの個別アーティスト感などを記したいと思う〜〜










でMSコンビ?は記憶にありませんが、その74年組トリオが続けて歌ったのは覚えてます。でもその翌年の75年組トリオ(岩崎宏美・片平なぎさ・黒木真由美)もお忘れなく。ちなみにこの3人、第1回日本テレビ音楽祭新人賞候補の5ワクに全員当選しました。当時母は「片平なぎさは絶対大成する」、ワタシは何を血迷ったのか?「黒木真由美がレコ大最優秀新人賞」と断言。この予想は完全に負けまして(笑)、未だにバカにされています。でもなぎささん・・ここまで大成すると想像できました?クラスに大ファンがいたんですが、小学生なのに見る目あったんだなあと感心します。今YTで見ても(当時の記憶よりも)彼女うまいんですよ。
菅原昭子様の「十七才の行進曲」、良いですよ!
MSコンビ、というか松田新太郎様を憶えている小学生は少ないかもしれませんね(笑)
'75デビュー組は質が濃かったですよね。
日本テレビ音楽祭にスタ誕出身者は切り離せませんでしたけど。
片平なぎさ様は手足がきれいだなぁと。
お母様の予想、スゴイですね、当たってるし。
で、デビュー曲は良かったんですが、2曲目の「異性」以降、年末の賞レースまで歌がどんどん暗くなって・・・「頬にかかる涙」と、早見優様の「アンサーソングは哀愁」は、なぜにこの曲でエントリーするんだ?と不思議でしたが、翌年明るさを取り戻して。
ところで、YTって何ですか?
でも「松田新太郎」さんを知ってるのは私達だけかもしれません、もしかして(笑)。デビュー曲が「君でいっぱい」でしたっけ?歌全然覚えてないけど、サンミュージックイチオシだったのは「週刊明星」で見たことがあります。
なぎささんの「純愛」よかったですね。賞レースは(「アンサーソングは哀愁」と同じ、なるほどと思いました)「美しい契り」でしたよ。どっちにしても暗かったけど。年明け第五弾「陽だまりの恋」が一番好きです。でも最近YTで見た「二人の青春」という(後期でしたが)曲もなかなか味があります。歌唱力はヒロリンに劣るけど、表現力では決して負けてません。
「あなたが死んだ悲しい知らせ」なんて、表面的に縁起が悪いと思われそうな「頬にかかる涙」(新曲でしたし)でまさか新人賞にエントリーしないよな?ってどこかで祈ってて、もちろん違っていたからとりあえずホッとした記憶を思い出しました。
YouTubeを「YT」というんですね!恥ずかしながら馴染んでなくて・・・。
菅原昭子様の売り方、事務所が違っていたらどうだったんでしょうかしら。日活音楽事務所でしたよね。
松田新太郎様、森田健作様のようにドラマも出ていたら・・・どうだったかなぁ。
だったら話が続いてしまいました。
それにしても「日活音楽事務所」だったんですか(東宝レコードとか大映レコードというのは知ってましたが)、スタ誕では淳子さんと一緒だったんですよね?どれくらい挙がったんだろう?松田さんね〜あんまり記憶にはないんだけど、特徴がなかったような気がします。ただ健康な好青年だけというか。陽介さんや哲平さんほどのイケメンでもなかったような気がするし。
日活音楽事務所に所属していたタレントがどれくらいいたのか中身は私も全く知りませんが、親会社が日活なら、当時の日活って・・・ね?売り出す力はどのようなものだったんでしょう。
松田新太郎様と緑川真様は時代を錯覚した戦略で失敗したような気がします。
だから、浩輔さんの感想は大同感!
郁恵様はことに「わがまま金曜日」までの衣装が何でしたし、荒木由美子様は、当時流行っていたのか?ヒロリンと似たような白衿ワンピも着てましたけど、美人が引き立つにはもう少し顔が小さく見える衣装を考えてもらったよかったのに・・・なんて思ってました(苦笑)
緑川真様、剣道着着てた印象以外、私も何も記憶がないんですよね〜
でも流石女の人はファッションのチェックは鋭いですね。荒木さんのそういうポイントは気づきませんでした。郁恵ちゃんはあのダサさ加減がよく(笑)、「わがまま金曜日」から3年間ファンでしたよ。でも緑川さんの剣道着・・・暑苦しいだけだったかもね(笑)。
当時、女子も女性アイドルの下敷きとか結構持ってましたよ!
デビュー後の一時期、フィンガー5の晃様が淳子様のファンだと公言されて、雑誌でデートなんて記事を見ては淳子様にヤキモチを妬いていたこともあったんですけど、「黄色いリボン」からまた大好きになりまして。
パーマヘアになった'75の春は最高の可愛さでした!
ほんとですね〜昭和48年2月25日のデビューから丸35年!
あの頃まだ小学3年生だった私も・・・随分と年をとったわけだ〜
映画「スプーン一杯の幸せ」の上映もありました。
私は、石川さゆり様の売れなかった初期も、実は好きだったんですよ(*^^*)
そんな2人の、キャスケットとニットベストとミニスカートに憧れて、真似した私です・・・
当時、さゆり様の本名が「絹代」と知って古臭いとは思いましたが、田中絹代様をまだ知らなかったっていうことがありました。
田中絹代様がご存命の時は、芸能界で名付けできなかったとか!?・・・ってことはないでしょうけど、「絹代」のイメージが戦前からの大女優っていう固定感があるので、ティーン歌手には古すぎる名前と思うでしょうね。
けど「東京女学院」って名前で、お嬢様学校なんだとすぐわかりました。
私は東京に引越しできるものなら「アメリカンスクール」か「堀越高校」に行きたかったです(笑)
高崎は政令都市?
アメリカンスクールは家の近所にあります。そこの子達が言ってる英語が悔しいけれどCNN以上にわからない(泣)。ワタシも「子供を持ったらアメリカンスクール」って考えてた時期はありましたが、学費がメチャ高いんですよ。あと日本語がおろそかになりがち。今小学校から英語を導入しようとしてますが、(一時英語の教師をしてた経験から言わせてもらえば)ワタシは不要だと思っています。むしろ国語にもっと力を入れてほしい、じゃないと英語もダメだし、いい歌も歌えませんし書けません(笑。結論)
ikuradonさんのその願望は、シンシアから来てる可能性大?ワタシはアイドルになれても堀越や明中はパス(笑)。能瀬慶子さんみたいに、ホリプロから堀越に転校を命じられても都立にこだわった姿勢をエライと思っています。でもだからこそ芸能界に馴染めなかったとも言えますね。
浩輔さんは元英語教師ですか〜私は学生時代英語が一番成績良かったんですが、全く役にたちません。なぜなら点取り虫なだけだったんですよね〜国語、まことにそう思います。私も美しい母国語を勉強し直したいくらいです(苦笑) 堀越や明大に憧れる人は地方っ子だけでしょうね〜
「点取り虫」・・・スンゴイ久々に耳にしました。「点取り虫のサンバ」なんて言ってました(すみません)。「ガリ勉」と並んで死語なんですかね?英語に限らず語学(に限らずスポーツや楽器もそうなんでしょうけど)は、続けないと力が確実に落ちますね。1日さぼると自分でわかり、3日さぼると他人にわかる・・・どこかで聞いたような(笑)。私明中の近くの専門学校で3年前教えてましたが、残念ながら芸能人見たことない。尤もあそこは夜間だし今のアイドルを知らないので当然か(笑)。奈保子さんが「堀越落ちて明中」なんて話もありましたが。
でも江戸っ子?でも堀越や明中に憧れてる子は多いですよ、特にアイドル志望者ならば。そんな中で井上純一さんの「早大高等学院」はカッコイイじゃないですか。しかもここは高校からしか募集しないから、相当の秀才だったことはうかがえます。でも早稲田って中退が多いんですね〜彼もそうだったけど、ラサール石井さんとかタモリさんも(笑)。
俳優さんで高学歴の方は昔から多いでしょうが、あの当時の売れっ子芸能人が、それもアイドルが大学に進学することって目立っていたんですかね。そんな情報は、平凡・明星か小学○年生くらいの雑誌でしか私は入手できなかったですが、何気に読んでいてもインプットしてしまいました。
堀越は平凡・明星の取材にも寛容なのか、制服姿をバンバン見せられたら行きたくなりますよ〜単に芸能人と友達になりたくて(笑)
またここで井上純一様の話題に戻るのも何ですが(笑)、デビューした時、顔も好きだけどプロフィールも素敵だと思いましたね、小学6年でも。単純に早稲田とつけばエライという図式でしたが;
井上純一さんが早稲田ってのは後で知ったんですけど、私が小6の時顔はシュミじゃないのにプロフィールでカッコイイと思ったのがあの三波豊和さん(笑)。なんせあの慶應ボーイですからね〜それなのに歌は演歌っぽかったけど。名前が似てるけど、仮に三浦友和さんが慶應だったなら、慶應の中学を目指し、点取り虫になり、即ガリ勉を開始したでしょうが(笑)豊和さんにはそこまでの影響力はなかったです(笑)。
私の卒業ソングは、高校3年の時、松田聖子様の「赤いスイートピー」B面の「制服」ですね。ちょうどリアル時で、今でも当時を思い出すのは。
三波豊和様・・・スミマセン、私自身不思議ですが、妙に嫌いじゃなかった昭和51年(笑)。
全く未定ですが、この辺りの何かについて語った時、名前出すかもしれないので、その時まで待ってください(笑)
直江さんは家も近所だったんで、俳優としてオチメになってからは近所のスーパーでレジ打ってたり、朝の通勤電車の中で見かけたりしました。あの金八の役のインパクトが強すぎたんでしょう。
三波さん・・・ホリプロイチオシで鳴り物入りで出てきて、デビュー曲「青春よ翔べ」もオリコン最高47位と順調な出だしでした。私もこのS51年あたりは最高にいい記憶ばかりですよ。高崎最後の年だったんですけど。