♪こんにちは赤ちゃん♪も中年へと成長いたしました。
好奇心旺盛で新し物好き・でも古い物も大好きな昭和女。
なつかしの音楽に乗せて自分史も思い出してみようかな。
知らない人にも教えてあげたいわ、この歌・テレビ!
ただし、私個人的な主観ですのでご了承を(^^)v

あーぁタイムマシーン、本当にあればいいなに・・・

2007年06月01日

Deepディープ/ 男性アイドル・このインパクト(3)-3




『deep』以来、哲平様の楽曲に加山色が込められることはなくなった。


翌年の春、6枚目のシングルCDヤング・セーラーマン』が発売された。(昭和54年(1979)5月10日)


この曲はスタ誕の先輩 ピンクレディ−様の『ピンクタイフーン』と同じヴィレッジ・ピープル様の『In The Navy』カバー曲。
同じ時期に競作になっちゃった。


西城秀樹様の『ヤングマン』が先手で大ヒットし、2番煎じ3番煎じが現れはじめていた頃。
布施明様と麻生よう子様の『恋のサバイバル』っていうのもあったな。


かわいい『ヤング・セーラーマン(In The Navy)』動画



私はピンクレディー様のも哲平様のもどちらも好きだった。
基本のヴィレッジ版がいいのもあるが、哲平様って、
やっぱり歌が上手い!声がいい!


明らかに秀樹様の影に隠れた作品なので、
発売のタイミングを大幅にずらせばもっと良い結果が出たのではないか、残念無念。

しかし、
夏に出したCDジャンピング・ジャック・フラッシュ』(昭和54年(1979)8月1日発売)

秀樹様の『ホップ・ステップ・ジャンプ』とまた被ったようなタイトルで。


哲平様自身、気持ちは追いついていたのだろうか。
勢いに乗ってまだまだ忙しかったことだろう。


私は秋に出た次のシングルCDときめきの二人』(昭和55年(1979)10月1日発売)を聴いた時、久々にちょっと哲平様にときめいた。


♪青春を飛び越えるのさ ついておいでよ〜♪


"ついておいでよ"って言われたら手を伸ばしたくなりそうな感じ(^^


かわいい『ときめきの二人』動画





私が哲平様の歌で、これもまたいい〜!と思っている歌が他にもある。


昭和55年(1980)に発売されたCDよしなよフィージー』だ。(昭和55年(1980)4月1日発売)


初めて聴いたのはFMラジオからだったんだけど、聴いた瞬間気に入った。


♪も〜う こんな〜悲しい話は やめ〜てほしい 胸が痛むから〜♪(男性コーラス)

男はどんっ(衝撃)(哲平様の歌)

'80年代アイドルブームの幕開けで、それまで活躍していたソロアイドル達は苦戦されたと思う。
哲平様なんて、後で計算したら田原トシちゃんより若いのにね。
年齢じゃなくキャリアが1,2年早いだけでフレッシュさが違う芸能界。


♪どちらのセリフを言えば♪のところの振り付けを覚えたかったけど、
あんまりテレビで観れなかった。


それから時代は過ぎ、今は俳優として舞台などに出られてるらしい。
今はサンミュージック所属ではないようだ。


20数年前、中村雅俊様主演のドラマ『われら動物家族』に出演されて以来のご縁なのか、
哲平様の結婚の際、お仲人が中村雅俊様・五十嵐淳子様ご夫婦だったらしい。


かわいいわれら動物家族OP動画


あるテレビものまね番組で哲平様が
中村雅俊様の歌マネをされていた。
めちゃくちゃ上手だった。
かつての歌手現役時代もいろいろやっておられたような気がするけど残念ながら覚えていない。


この時も久々にテレビで拝見したのだが、
場数を踏んだ芸能人には見えない、恥ずかしそうな哲平様がとても新鮮だった。


思えばバラエティ番組等に出ることもなく、スキャンダルの一つも聞こえてこない。
真面目に地道にやっておられるのであろう、
哲平様はオーディションで初めて見た時と
似たような印象を与えてくれた。


今になってわかること、今になって良さを知ることがたくさんある。
ここで語りながらつくづく思うことだ。


真っ赤に燃える朝日も、深い深い海の中も
哲平様の人生の糧となったであろう。


だんだん意味不明になってきたので終わりにしよう。



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posted by いくらどん at 00:43| Comment(1) | TrackBack(0) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
思い起こせば、いわゆる「たのきん前夜」みたいな頃は、一部のクラスの女子の間では、哲平派と麻世派にわかれていましたね。
文中で触れられている、1979年5月にリリースされた新曲は、当初は「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」の予定だったのが、「ヤング・セーラーマン」に差し替えられた模様です。
確か当時、私の地元の宮崎放送の音楽ランキング番組で、アナウンサーの方が「もしこの曲が大ヒットしたら、紅白歌合戦に初出場する可能性が高くなるんですよ」と紹介していましたが、わざわざ既に決まっていた新曲を、急遽差し替えたことでも、渋谷哲平さんサイドは相当大きな勝負をかけていた、非常な「本気度」が伝わってきますね。
もし渋谷哲平さんが、ファンの方以外にもある程度知られるようなヒット曲(平たく言えばTBS系「ザ・ベストテン」に入るような)が出ていたら、のちのちの評価はもっと違ったものになっていたんじゃないか・・・などと後になって改めて考えてしまう時もないとはいえませんが・・・。
ところで、1981年頃にリリースされた、彼としては珍しい、女性が主人公になっている(女性の視点で描かれている)「思い出して下さい」という曲は、個人的に良曲だと思いますし、1985年度のオリコン名鑑で、彼の代表曲として紹介されていたのは、何だか嬉しかったです。(YOUTUBEでも聞くことが出来ます)
Posted by yingyang at 2012年02月15日 13:17
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