♪こんにちは赤ちゃん♪も中年へと成長いたしました。
好奇心旺盛で新し物好き・でも古い物も大好きな昭和女。
なつかしの音楽に乗せて自分史も思い出してみようかな。
知らない人にも教えてあげたいわ、この歌・テレビ!
ただし、私個人的な主観ですのでご了承を(^^)v

あーぁタイムマシーン、本当にあればいいなに・・・

2007年07月24日

レディ・レイは最高さ / ジュニア〜メッツ〜ジャニーズ'75番外編




『テイチク70'sアイドルコレクション』9曲目 レディ・レイは最高さ!/メッツ
『株式会社 NAVレコード ヒストリー 1』3−11 ああ青春/殿ゆたか
                   3−12 君はもう…?/殿ゆたか




昭和50年(1975)・小学6年生の私の前をベルトコンベア式に次々と現れて来たジャニーズアイドル'75組を
井上純一様、豊川誕様、リトル・ギャング様、JJS様と前記で紹介させていただいたが、
異例の早さでデビューされた様を除くと、皆"ジャニーズ・ジュニア”として
厳しいレッスンや先輩のバックで踊ったりという修行を経てメジャーデビューされている。


JJS様はその"ジャニーズ・ジュニア"「一期生」の内の3名であり、トシちゃん、マーちゃん、チャーリーがJJSメンバーになったのには経緯(いきさつ)がある。


郷ひろみ様がバーニング・プロに移籍され、80年代に「たのきんトリオ」が登場するまでの期間がジャニーズ事務所の大氷河期と評される序曲には、ひろみ様の移籍ともうひとつのドラマがあったのだ。


ジャニーズ・ジュニア」というのは、主にジャズ喫茶等でライブ活動されプロデビューされていない元祖ジャニーズのバックバンドが初代であったらしい。


が、2代目のジュニア25名の中から選出され、'73郷ひろみ様の初めてのワンマンショーに弟分として出演された9人のメンバーが「一期生」と呼ばれる。


ショーの中で「理由なき反抗」乱闘シーンを演じた。
9人のうち4人は、前年のフォーリーブス様のミュージカルで初舞台済みとのこと。


"ジュニア"メンバーは様々な形でユニットを組み、メジャーデビュー前から先輩アイドルのバックで踊ったり舞台やテレビに出ているから、とっくに顔が売れている。
そのジュニア時代からファンに支えられているのだ。


このカタチは現在まで継承されているが、今では"ジュニア"というブランドもかなり進化。
NHK-BSで放送されている日曜の夜6時「ザ少年倶楽部」を観て感心いたすところ。

※※※続きを読む※※※
posted by いくらどん at 02:04| Comment(11) | TrackBack(1) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月22日

ベルサイユのばら/ジャニーズ・ジュニア・スペシャル〜ジャニーズ'75組 


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レーベル Sony Music Direct
発売予定日 2008年01月23日
盤種    CD
販売価格 1,980円(税込)


ハート昭和50年(1975)・小学6年の私の目の前を駆け巡るジャニーズ'75デビュー組の第4弾は
前出の井上純一様豊川誕様リトル・ギャング様の先輩格であり、一番デビューが早かったグループ、
ジャニーズ・ジュニア・スペシャルこと、JJS様だぴかぴか(新しい)


紹介の順番は私の個人的思い入れ順でございますm(_ _)m


昭和50年(1975)2月21日 CDベルサイユのばら』でデビューされたJJS様。


この時私はまだ小学5年生の3学期中。


JJS様のメンバーは
畠山昌久様(チャーリー)  昭和33年2月9日生まれ(東京都出身)
林正明様(マーちゃん)   昭和33年8月30日生まれ(神奈川県出身)
板野俊雄様(トシちゃん)  昭和32年4月26日生まれ(山口県出身)
の3名。



私が1年で最も苦手な季節が"冬"。
当時の2月は今より寒かった。


朝、何とか起きて学校の支度をし、
朝食は、日本テレビの『おはよう!こどもショー』と、テレビ朝日の『ブンブンバンバン』をダラダラ観ながら食べる。


日本テレビの『おはよう!こどもショー』に比べたら全然歴史の浅い、名古屋テレビ製作の
『ブンブンバンバン』では、子供向け番組なのに毎日歌謡曲コーナーが設けられていた。


この時期は、大好きなフィンガー5様の『華麗なうわさ』のスタジオ録画がちょうど流れていた頃。


よく考えると子供番組なのにね・・・^^;どうして朝から歌謡曲なのか〜
視聴率やスポンサーの関係?
(おはようこどもショーでも後期には恋の病気を治す「ブルーロマンス薬局」(byポップコーン)が流れていたけど)


伊藤咲子様の『夢みる頃』とか、林寛子様の『仮病が上手な男の子』、
こういう可愛い系ならまだわかる。


私が他にも記憶しているのは、水沢アキ様の『祈り』とか、八田英二様の『それぞれの秋』とか、
ヤンシスターズの『お気に召すまま』など・・・
視聴者のメインは子供なんですけど・・・(汗) 


朝からこんな感じで歌謡曲を聴いて学校へ。


そして学校から帰って夜のテレビのゴールデンタイム。
親がチャンネル優先権を持つこともあるので、毎週は観ることができなかったTV『ベスト30歌謡曲』を観せてもらえたある日。


私はデビューしたばかりのJJS様の歌をここで初めて聴くことができた。
彼らのことは前から知っていた。


衣装は薔薇の刺繍入り、加えて薔薇1輪を手にしながら(だった?)クルリンクルリンー(長音記号1)と踊り歌うJJS様のお姿は、ネオGS風、ミュージカル風という感じで、カッコいいんだけどちょっとオーバーな曲調に思えた。


長めのイントロはとてもきれいで好き。


ジャニーズ事務所が一貫として力を入れているミュージカルの形式を流行歌にあてはめた作品。
ゆっくりな曲調からサビで速度を増し、見せ場が出来ている。


踊りがなくても、一昔前のGSブームでオックスの野口ヒデト様(真木ひでと)や、テンプターズのショーケンが歌ってもいい感じだ。


"薔薇の刺繍"は当時よく目にしていた。


ちょうど西城秀樹様の『薔薇の鎖』が流行った頃、
裾に薔薇刺繍が入ったベルボトムジーンズを買ってもらって学校に行ったら、同じお店で同じジーンズを買っていた友達と被ってしまったことがある。
薔薇柄のサファリジャケット、胸に薔薇の刺繍が入った短めのニットベストっていうのもあった。


手芸に興味を持ち始めた時期でもあり、母の手芸本から写した図案はやっぱり薔薇の刺繍。
学校の家庭科で作った枕カバーに刺繍したのも薔薇。
だから、JJS様の衣装はとっても参考になった。

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posted by いくらどん at 02:10| Comment(20) | TrackBack(0) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

アイ・ラブ・ユー/リトル・ギャング〜ジャニーズ'75組


↑曲目NO.9 アイ・ラブ・ユー(リトル・ギャング)

昭和50年(1975)・小学6年の女を惑わすキスマークジャニーズ'75デビュー組の第3段。
私の中の'75組・3番手でもある。


昭和50年(1975)7月25日 CDアイ・ラブ・ユー』でデビューしたちびっ子2人組。


リトル・ギャングキスマーク


中学2年と中学1年のジャニーズ最年少BOY!


前出の井上純一より、たった1週間早いデビュー。


郷ひろみ様を失い、早急な穴埋め作業にとりかかっていたにしても、同じ事務所からこんなに新人を乱発してマネージメントは大丈夫なのか?・・・と、その答えがわかっている分タイムスリップして苦言したい気分・・・大きなお世話だけど。


だって、かつて読んだサン・ミュージックの相沢社長の本に、
「新人は1年に1人」がモットー
だと書かれていて"なるほど"と納得したことがあるものだから。
(といっても、'77デビュー組の太川陽介様と香坂みゆき様、'80デビュー組の松田聖子様と中山圭子様のような例外もあるようだが・・・)


香坂みゆき様は前に愚痴ってたぞ、力入れてもらえなかったって。
キッズモデル時代から顔だけ売れてしまって新鮮味に欠けたせいなのか。
中山圭子様にいたっては、父親が俳優という恵まれた七光りも射さぬまま不運に見舞われ、予定外にさっさと福岡の高校を中退して上京してきた松田聖子様に社運を持っていかれてしまった。


かわいい曽我泰久様(そが やすひさ)'63・1.7生まれ 12歳 身長138cm
かわいい松原秀樹様(まつばらひでき)'61・11・2生まれ 13歳 身長155cm
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posted by いくらどん at 01:09| Comment(11) | TrackBack(0) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月13日

汚れなき悪戯〜星めぐり/豊川誕・ジャニーズ'75組






昭和50年(1975)・小学6年の私の男性アイドル史続編・・・

この4月にバーニングプロへの移籍が決まった郷ひろみ様。
ジャニーズ事務所は1月に会社組織になったばかりである。


"ポスト郷ひろみ"は次々と準備された。
その第2弾としてデビューしたのが豊川誕様であるぴかぴか(新しい)



たゆねの音盤堂
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昭和50年(1975)3月21日 デビューシングルCD汚れなき悪戯』発売。



かわいいYouTubeで聴けます♪




様のプロフィールは通常のアイドルにはない影があった。
昭和33年10月5日生まれの16歳、兵庫県姫路市出身。本名は本田孝。
が、実はこの生年月日や出身地・名前は後から決められたものだ。
昭和36年11月、おそらく3歳くらいだろうと推定され、保護された日からちょうど3年前を誕生日にし、保護された場所を本籍地に、名前は姫路市長に付けてもらった。つまり親から”捨てられた子”だったのだ。

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posted by いくらどん at 17:17| Comment(19) | TrackBack(1) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

恋人ならば/ 井上純一〜ジャニーズ'75組



昭和50年(1975) 小学6年生の夏。
お嫁入りしたいほど好きだったフィンガー5の様はアメリカへ旅立って行った。飛行機
たかだか半年待てばアメリカから帰って来る”心の夫”を待つこともせず、次々と登場するニューフェイスに目移りしては心動かされた12歳の私。


男性アイドルを集めた切り抜きやプロマイド等は、新新御三家の山本明様がサンミュージック事務所、あとはジャニーズ事務所所属の方ばかりだった。


当時のジャニーズ事務所は、郷ひろみ様がバーニングプロに移籍し、バックで踊っていたジャニーズJr.の1期生のうち6人がひろみ様を追ってバーニングに移籍するという騒動があったあと。


フォーリーブス様の弟分の中で唯一の出世頭であった郷ひろみ様の抜けた穴は非常に大きかったと思えるが、その穴を埋めまくるように1975年のジャニーズ事務所はバンバンと新人を誕生させていった。


その'75デビュー組の中で、私が一番ファンの時期が長かったのが、第4番手デビューの
井上純一様である。


昭和50年(1975)8月1日 コロンビアレコードよりCD恋人ならば』でデビュー。


昭和33年(1958)8月14日生まれで、デビュー後すぐに17歳を迎える。
父は一流出版社の管理職、高校は早稲田大学付属早稲田高等学院の山の手育ち。


JUNと電話でデートしてみよう!・・・こんな企画が平凡であった。
当選した人が羨ましかった。
今でも当選者の方はこのことを憶えているだろうか。

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posted by いくらどん at 03:23| Comment(10) | TrackBack(3) | '70年代邦楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月05日

待っている女〜嘆きのインディアン/五木ひろし繋がり





昭和47年(1972)5月10日・新曲CD待っている女』を発売された五木ひろし様。


私は小学3年生になっていた。


五木様は、その前年の昭和46年(1971)にCDよこはまたそがれ』が大ヒット。
賞を総ナメ、紅白歌合戦初出場を果たした。


続くシングルCD長崎から船に乗って』、CDかもめ町みなと町』も連続ヒット、
そしてCD待っている女』である。


イントロのオルガンから
♪へヘイヘイ へヘイヘイ♪
と女性コーラスで始まる歌は、粋なロック調演歌という感じだろうか。
リズムが効いていて、ノリがいい。


握りコブシ&右肩傾斜姿勢五木様がここで確立されたのではなかろうか手(グー)カラオケ


たぶんTBSTV8時だよ!全員集合」で聴いたのが最初だったと思う。
すぐに耳に残っちゃった。
歌のジャンルを超えて、いい揺れるハートexclamationって素直に思った。


母に向かって、"これ、いいじゃん!"と言った8歳の私。
五木様をカッコいいとは思わなくても、
歌はカッコいいと思ったわーい(嬉しい顔)

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posted by いくらどん at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の中の洋ROCK&POPS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする